楽屋の水平社宣言 藤原書店 エッセイ集「いのちの叫び」より


 「火の玉のはなし」(原作/組坂繁之)というひとり芝居をもって、旅をはじめたのは一九八六年のことでした。福岡県筑後地方の被差別部落の伝承を自分なりに脚色して、舞台に乗せてみたのですが、当初はお客様の視線で身も心もズタズタ、満身創痍で舞台を降りるという毎日でした。

 行政主催の人権集会はおおかたが入場無料。この「無料のお客様」ほど恐いものはありません。通りすがりにちょっと寄ってみたとか、学校で割り当てられたのでとか・・・。あるいは芝居の最中に最前列で名刺交換の始まることもありました。

 だから、毎回どうしたらこのお客様がこっちを観てくれるだろう、どうしたら関心を寄せてくれるだろうという実験の繰り返しでした。もちろんこの芝居の為にわざわざ時間を工面しておはこびいただいたお客様も多勢いらっしゃるのですが。

 町の行事だからとりあえず顔を出したというお客様をとりあえず後の方から座ります。前の方が空いていれば舞台からミカンを投げたりチョコレートを撒いたり、眠っている人がいれば太鼓を叩きます。なんとも芸のない役者ですが・・・。ひとり芝居の旅を始めて三年程、本番の前の晩はいつも眠れませんでした。眠れぬ理由は、自分の芝居のマズさももちろんですが、この舞台と客席の関係がそのまま、現在の「部落」をとりまく情況のように思えてしまうからでした。

 「お前が好きでやっているんだからしょうがないじゃないか」と言われればそれまでですが、役者は接客業。怒るわけにはいきません。

 「お客様は神様です。」いい芝居さえすればしまいには拍手までいただけます。僕のひとり芝居は、そんな神々に支えられて出発しました。神々に心から感謝感謝。

 今春、僕は大阪のある人権の集いで水平社宣言を朗読する機会を得ました。僕の一番好きな文章です。そこには人権を無視されつづけてきた先人達の「いのちの叫び」が謳ってあります。この日本で最初の人権宣言が輝いているのは「叫ぶ」前に、まず自らを諄々と戒めているところです。

 僕にとって演じるということは「いのちの叫び」なのです。いえ、そうでありたいと思っています。だから、水平社宣言の写しはいつも僕の楽屋の化粧前に置いてあります。

(なかにし・かずひさ/俳優/二〇〇〇年十二月)