「演劇と教育」 2008年12月号掲載
旅の風景 心の風景

『しのだづま考』(ふじたあさや作・演出)は初演から19年になります。
ずいぶん旅をしましたが、たまに海外公演も経験します。この秋はロシアを旅しました。
シベリア鉄道に揺られて大平原の町々を巡り、憧れのモスクワ芸術座で旅の千秋楽を迎えました。
おかげさまでいずれの地でも満員御礼、終演後は客席総立ちの拍手に包まれ、エカテリンブルグの国際演劇祭では『テアトラーリヌィ・セゾン賞』という思わぬご褒美まで頂戴しました。
いえ、これもすべてお客様、スタッフの皆様のおかげです。


私事で恐縮ですが、敗戦後5年間シベリアに抑留されていた父が、一緒に風呂に入るときまって僕に歌って聞かせたのが、ロシア民謡「カリンカ」でした。
だから僕は今でも原語で歌えます。
レセプションで返礼に歌いました。
かつての抑留者の子の「カリンカ」はいつしか会場いっぱいの大合唱に広がっていました。
平和であればこその演劇祭です。


ところで、海外公演で心配になるのが「言葉の壁」です。
もちろんリーフレットで粗筋を紹介したり、スライドを使って要所要所で解説を入れることはしますが、映画のように一言一言を訳したりはしません。
情報を伝える為なら文字を並べるのが一番なのでしょうが、俳優の言葉は単なる情報ではありません。


初めての海外公演の時、何故言葉を発するのか?言葉は何のためにあるのか?考えずにはおれませんでした。
普段、日本語のわかる客席に日本語で話しかけていると、伝わったような気になってしまいます。
これは「落とし穴」です。
言葉のわからない観客の前に立つと、この胸の思いを全身全霊で伝えようとしている自分に気付かされます。
また、観客も目を皿のようにして「言葉の壁」を乗り越えようとしています。
そこにはもう国境はありません。
言うまでもなく演劇は、音楽や彫刻や絵画と同じように、その表現者の「心の風景」です。
客席にはそれぞれの人生を背負った老若男女が、自らの「心の風景」と重ね合わせながら座っています。
あとはお客様の想像力に身をゆだねるだけ。畢竟、俳優は接客業でもあります。