三國連太郎さん逝く。 2013年7月猫の手通信 掲載

昨年から大きな役者さんが次から次に旅立たれていて、この小さな役者は今、心が風邪気味です。
大滝秀治さん、森光子さん、中村勘三郎さん。
いずれも、遠くから眺めるだけの存在でしたが僕にとってはいずれも大きな人たちでした。

大滝秀治さんには数年前、彼の代表作「巨匠」(木下順二・作)が俳優座で上演された折、終演後六本木の寿司屋でご一緒したのが最後でした。
こう書くと「高級寿司屋に彼の大先輩に誘われて」とは想像しないでください。
その時の舞台にあまりに感動した僕は、そのまま地下鉄には乗れずに六本木をブラっとした挙句、俳優座前の「寿司ざんまい」に入ったのです。
寿司をほおばりながら、先程の舞台をもう一度反芻していると、その舞台と同じような声が隣から聞こえてきました。
なんとカウンターで隣り合わせたのが、大滝さんでした。
挨拶もそこそこに僕は、先程ロビーで手に入れたパンフレットにサインをお願いしました。

そのパンフレットは僕の宝物です。僕は同業者に自分からサインをねだったことはありません。
師匠の小沢昭一さんや、三國連太郎さんにもそうでした。

中村勘三郎さんは、一回だけですが新橋演舞場公演『薮原検校』(井上ひさし・作)で僕がまだ二十代の後半、彼はその頃二十代半ばでまだ勘九郎でした。
僕はその弟分の役でしたが、この舞台に関しては改めて書かせて下さい。
「若旦那」がぴったりはまる役者でした。

さて、昨年の暮れに師匠の小沢さんが亡くなり、それでも大きな痛手でしたのに四月十四日には三國連太郎さんが逝かれました。

三國さんとは、彼自身のメガホンによる『親鸞・白い道』に出演させていただいた時からのご縁でした。松竹制作のこの映画はその年カンヌ国際映画祭で「審査員特別賞」を受賞した大作で、僕は親鸞に付従って行く朝鮮人刀工の役でした。
ロケ先でほとんど半年間お世話になりましたが、とにかく出演者より監督のほうが圧倒的にカッコ良かった。
僕の最初のひとり芝居『火の玉のはなし』は、そのロケを掻い潜りながら作ったものです。
ひとりの俳優の並々ならぬ情熱で作品が生まれていく現場を間近に見た僕は、この偉大な俳優を仰ぎ見て、「仕事を待っている俳優」から「仕事を作る俳優」になってみたいと思ったのです。

以後、細々ながら三國さんとの交流はありましたが、二〇〇六年に京楽座で制作した『破戒』に三國連太郎さんは声で出演していただきました。

ほんとは生出演していただきたかったのですが、彼の偉大な俳優を稽古から舞台出演と約一カ月も拘束するには、京楽座は小さすぎました。
この時主役の丑松は僕でしたが、「蓮華寺は下宿も兼ねた。」ではじまる冒頭の朗読や、丑松の父の声は三國さんでした。
この芝居はこの年の文化庁芸術祭参加作品となり西川信廣演出、五木寛之監修という大布陣で臨んだ舞台でした。

三國さんは、ちょっとした仕事にも真摯でした。
声の依頼ですから、スタジオ録音のその日だけで終わる仕事ですが、こちらからお願いするでもないのに築地の稽古場に五・六回お運びくださいました。

三國さんと言えば、気に入らない仕事だとその場で「降りる!」とおっしゃる方だと伺っていましたので、主役や座長、プロデューサーを兼ねる僕はヒヤヒヤでした。

それから、しばらく時間も過ぎた頃二〇〇九年の夏。僕は新国立劇場で『をぐり考』を上演しました。客席に三國さんの姿がありました。
終演後、僕が「お見送り」をしている時に三國さんが寄って来て握手を求められました。
その時の写真が、この一枚です。

2009年 新国立劇場『をぐり考』上演後のロビーで

『親鸞・白い道』のロケの旅館で、夕食の後、三國さんを囲んでワイワイやっていると、「中西君。何回くらい台本を読む?」と三国さんが聞かれるので、「さあ、五十回くらいでしょうか」と応えると「ぼくは二百回読みます。「あわわわ!」

以後、僕は二百回以上読むことにしました。

三國さんも小沢さんも、才能以上に努力の人でした。
特に三國さんは「うそ」を嫌う人でした。
だからかな?結婚歴四回。
佐藤浩市さんは、二番目の奥さんとのお子さんとか。
自分に正直なんです。
ちなみに、今の奥さんは、僕とあまり年は違いません。

暮れに小沢さんが逝かれ、春に三國さんも逝かれ、京楽座の事務所にはお二人の色紙が飾られています。
それを眺めると僕にはきまって、映画『越後つついし親不知』(作・水上勉/監督・木下圭介)のラストシーンが浮かんできます。

妻を寝取られた小沢さんがその相手の三國さんに抱きついて、親不知の断崖絶壁の海に飛び込んで行くんです。
そのシーンを撮る時、小沢さんは、ある作戦をとったとおっしゃっていました。

「うそ」の嫌いな三國さんは「ひょっとして、ほんとに飛び込むんじゃないか」という恐怖心にさいなまれたそうです。
そこで撮影の前に小沢さんはその絶壁に二人で立った時、三國さんの背中を後ろからドンと押したそうです。
「ショショショ、昭ちゃん危ないじゃないか。」三國さんの殺気がすっと引きました。
これで撮影は無事終了。

二人の名優に、僕はいろんなことを教わりました。
小沢昭一さん享年八十三歳。三國連太郎さん享年九十歳。合掌。