大牟田でふるさと公演!『ピアノのはなし」 2013年7月猫の手通信 掲載


<母校 中友小学校〉

二〇一三年六月十二日に大牟田市立中友小学校で、中西和久ひとり芝居『ピアノのはなし』を上演しました。

大牟田に帰るたびに近くを通り、遠目にはよく見ている母校ですが、校舎に足を踏み入れたのは、五十年ぶりでした。

木造だった校舎は立派になり、体育館の屋根の形は三角からドーム型になっていました。
しかし、子供の頃に遊んだ滑り台は、設置場所こそ移動したものの、当時のものが使われており、大変懐かしく感じました。

『ピアノのはなし』は、終戦直前に、「ピアノを弾きたい」と鳥栖の小学校を訪れた二人の特攻隊員のことをピアノが語るという芝居です。
ピアノ役の私が、冒頭で「私はピアノです」というセリフを言ったときに、一五四名の子どもたちが素直に、芝居の中に入り込んできているのが演じていてもわかり、非常にうれしく感じました。

この公演の模様は、地元のメディアにも取り上げられ、有明新聞には「迫真の演技で戦争の悲劇を伝えていた」と紹介されました。


<大牟田文化会館〉
中友小学校での公演の翌日、二〇一三年六月一三日には大牟田文化会館で、『ピアノのはなし』の二百回記念公演でした。

もともとは大牟田学園中学校からのご依頼だったのですが、一般の方々にも見ていただこうと、地元の座・未来塾主催で、文化会館で上演させていただきました。
おかげさまで当日は満席。

このお話は、特攻隊出撃を目前にした音楽学校出身の飛行隊員が、小学校のピアノで「月光」を弾かせてもらい、旅立って行ったという実話がもとになっています。
その実話を芝居にしようと思ったのは、僕は実際の戦争を知らない世代だけれど、戦争の記憶は受け継ぎ続けたいという気持ちからでした。
知覧の特攻平和会館に行って、特攻兵出撃前の遺書の数々を読みました。
その行間から迫ってくるものは、「俺が生きていたということを忘れないでくれ」という若者たちのつましいほどの願いでした。

一九九四年二月に茨城県岩瀬小学校の体育館で初演してから、二百回もの公演を続けられてきたのは、たくさんの方々の応援と協力のおかげです。

原作の毛利恒之さん、素敵なピアノ演奏をしてくださる佐々木洋子さんをはじめ、鳥栖の小学校で長年教師を務められた上野歌子先生、猫の手倶楽部の皆さんに深く感謝します。