2015年7月11日(土)15:00開演
コンサートドラマ「ピアノのはなし」
大阪・茨木市クリエイトセンター公演によせて


『記憶と記録のはざまで』 中西和久

 このお芝居の元になったのは1990年に放送されたKBC九州朝日放送のラジオ番組「ピアノは知っていた~あの遠い夏の日」です。佐賀県鳥栖小学校には戦前からドイツ製のフッペルのグランドピアノが置かれていました。が、老朽化してついに廃棄されることになったのです。そこで、戦前からこの小学校で音楽の先生として勤務された上野歌子さんが、このピアノにまつわる思い出を全校生徒に話され、それが放送されたのです。でもこの番組は、深夜放送でした。翌日の地元の新聞には博多の歓楽街が大渋滞になったとの記事が載っていました。このラジオを聴いていたタクシーの運転手さん達が「ヨカ番組のありよるバイ」と無線で知らせ合って聞き入っていたのです。
 物語はこうです。昭和20年5月、二人の特攻兵が小学校にやって来ました。二人は東京上野の音楽学校ピアノ科の学生でした。「僕たちは明日、沖縄に向かって飛び立ちます。先生、死ぬ前に一度だけ思いっきりピアノを弾かせて下さい。」音楽担当のおなご先生は、早速ベートーベンのピアノ曲集を手渡しました。静かな体育館にピアノソナタ「月光」が流れていきました。
 翌朝、2機の戦闘機がこの小学校の上空をぐるっと一回りすると翼を振りながら南の空に消えていきました。

 僕は「戦争を知らない子ども達」の一人です。記録や情報として戦争を知っているだけで、未経験です。たぶん辛い記憶や経験は早く忘れることで、人は生きていけるのかもしれません。それが知恵なのかもしれません。「戦争は最大の人権侵害」といわれますが、その「記憶の風化」は年を追って激しさを増しているようです。しかし、人権侵害はそれを受けた人々の記憶の中に生き続けています。同じ過ちを繰り返さぬ為に記録を記憶にして次の世代に繋いでいくこと。それが俳優としての僕の仕事でもあると思っています。

『「カリンカ」の唄』 中西和久

 2008年秋、僕はシベリア鉄道に揺られながらひとり芝居『しのだづま考』の旅をしていました。ロシアの古都エカテリンブルグで国際演劇祭が開催され、この舞台で僕はおかげさまである演劇賞を頂き、レセプションが開かれました。何かお礼の言葉を述べたかったのですが、ロシア語での挨拶なんてムリです。通訳の人に頼んで、私の父親のことを話すことにしました。
 「授賞ありがとうございます。私の父は1945年、終戦とともに旧満州でソ連軍に武装解除され、シベリヤの収容所に送られました。記録によれば18か所のラーゲリを転々としたようです。1950年ようやく祖国の土を踏むことができ、そして生まれたのが私です。たぶんこの町を通るシベリヤ鉄道の枕木の1本や2本は父が敷いたものかもしれません。私は戦争中のことや、収容所時代のはなしを父に聞いたことはありませんでした。辛い苦しい話のようで、聞いてはいけない話のようで、聞けませんでした。私の名前は「和久」といって日本語では「平和よ永久に」という意味です。たぶんこの名前は戦場から、父が命からがら持ち帰ったものなのでしょう。小さい頃、父と一緒に風呂に入るときまって聞かされたのがロシア民謡の「カリンカ」でした。これは今でも原語で歌えます。
 その時の捕虜の息子が、こうして皆さんの国の舞台に立って、しかもこんな賞まで頂いて…60万人とも言われる捕虜の誰がこんな日の来ることを想像したでしょう。平和のありがたさを今、しみじみと噛みしめています。平和であればこその国際演劇祭です。お礼の言葉に換えて今日は皆さんと一緒に歌いましょう。」やがて歌声は次から次にこだまして、劇場は「カリンカ」の大合唱に包まれていました。
 『ピアノのはなし』は戦争中の一つの挿話です。それぞれのご家庭にそれぞれの「戦争」があるのでしょう。どうご家族連れでおはこびください。


『バトンをつなぐ(二人の少年)』 中西和久

 福岡県の提供で毎年春から夏にかけて放送されているKBC九州朝日放送のラジオ対談番組『中西和久ひと日記』は今年で19年目になります。テーマは「人権」です。
 部落、障害者、民族、女性、貧困等など身近な問題、見過ごされがちな「人権」を当事者を尋ね歩き、あるいはスタジオにお招きしてお話を伺っています。
 数年前、僕の師匠の俳優小沢昭一さんにご登場いただきました。小沢さんは日本の放浪芸研究の第一人者でもありますが「芸能と差別」についてのお話は貴重で興味深いものでした。そのお話の中で軍国少年であった小沢さんがこんなことを仰ったのが印象的でした。
「戦争って人殺し大会だ。戦争になってからじゃ遅いんだ。なりそうな時でも遅い。なりそうな気配が出そうな時に何とか、つぶさないとダメ。今、どうもそんな風が吹いているような気がするんだ。」
 また、昨年は妹尾河童さんにお話を伺いました。河童さんはご存知『少年H』の作者ですが、本業は舞台美術家です。僕は研究生の頃からお世話になっている演劇の大先輩です。その河童さんの言葉が、小沢さんの言葉とダブって僕の心に刻まれました。
「今の世相ってあの頃とよく似てる。パラパラっと小石が降ってくる。地震じゃなかったって皆、安心してるんだけど、あのパラパラが戦争のはじまる前兆だったんだというのを後になって知るんですよ。大きな岩が自分の上に落ちてきたらもう止められない。戦争の道に進むのか今は微妙な時期ですよ。」
 二人の「戦争を知ってる子ども」が、風と地の違いこそあれ、今の世相を全く同じ感覚で捉えられているのが印象的でした。
 あ、この番組は「福岡県人権啓発情報センター」にアクセスするとお聞きになれます。
記憶を心に刻むこと。『ピアノのはなし』は、次世代の「子どもたち」へつなぐ私なりのバトンでもあります。