2012年9月15日 読売新聞掲載
 
説経節3部作などを積み重ね

 説経節3部作で知られる俳優中西和久(京楽座主宰)の一人芝居上演が、10月27日に計1000回に達する。27日と前日の26日には、郷里の福岡市・住吉神社能楽殿で、3部作の一つ「しのだづま考」(ふじたあさや作・演出)の記念公演を行う。「少年時代に住吉神社の境内でよく遊んだ思い出の場所です。僕を育ててくれた土地、空気に感謝しながら節目の舞台に立ちたい。」と意気込んでいる。


記念公演で「しのだづま考」

 中西は福岡県大牟田市で生まれ、小学校から高校時代までを福岡市で過ごした。住吉神社の近くに、当時の自宅があった。このため、記念公演の会場に、拠点としている東京ではなく、郷里のゆかりある場所をわざわざ選んだ。  
 「能楽殿には観客の想像を膨らませる豊穣(ほうじょう)の闇があるのも魅力。1回1回を懸命に演じてきたら、いつのまにか1000回になっていた。続けるうちに言葉ではなく、心を伝える大切さにも気づいた。次のステップに向け気持ちを新たにする舞台にしたい。」と語る。

 中西は、1976年に小沢昭一主宰の劇団「芸能座」に参加。86年から一人芝居に取り組み始めた。説経節第1作で、公演413回にのぼる「しのだづま考」をはじめとする3部作と、福岡県筑後地方の被差別部落伝承を脚色した「火の玉のはなし」、佐賀県鳥栖市で戦時中に特攻出撃前の飛行兵が「月光の曲」を弾いたエピソードに材をとった「ピアノのはなし」の計5作品の上演を各地で積み重ねてきた。 
 「一人芝居と多人数の芝居とは別の芸能だと思っている。役者同士がセリフを交わすのではなく、独白が続く一人芝居は、お客さんが演技に応えて想像力を働かせてくれて初めて成立する。とくに『しのだづま考』を演じたとき、自分にぴったり合う着物を見つけた気がした」と話す。

  「しのだづま考」は89年に初演した。平安時代の陰陽師安倍晴明の出生にまつわる信太妻(しのだづま)伝説を基にした物語だ。日本人の古い土着の心情を鮮やかに描く。一人で27役をこなす早変わりや幻想的な演出が注目されるが、人間とキツネの異類婚譚(たん)で、被差別部落問題を含意した作品に仕上げているのも特徴だ。
 この作品で91年、中西は文化庁芸術祭賞を受賞。ロシア、韓国など海外でも高い評価を得た。続く3部作の2本「山椒大夫」「をぐり考」も、虐げられた民たちの視点を大切に舞台化、戦時中の強制労働やハンセン病の隔離問題といった、重い現代的テーマを想起させる作品となっている。

  説経節は仏教を庶民に説くため、物語に節をつけて語ったのが始まりとされる芸能。中世から発展してきたが、戦後はほぼ廃れた。中西はその物語に題材を得るとともに、三味線など説経節の音曲も生かして舞台化している。
  「宗教と社会、芸能が未分化だった時代に生まれ伝えられてきたのが説経節です。記録を残せなかった下層の人間の心情を今に伝えるいわば『記憶の芸能』でもある。原発、沖縄の基地、水俣病問題など、一人ひとりの命が軽々しく扱われているように思われるこの時代でこそ、説経節のような物語が意味を持つのではないか」と力を込めた。



(臼山誠)