2014年2・3月号 AERA
「しのだづま考」


福岡県大牟田市出身の俳優、中西和久さん(60)が人権問題を正面から取り上げる
KBCラジオの番組「中西和久 ひと芸の粋を集めた一人芝居
平等の意味を問う「しのだづま考」
我が子と夫を置いて一人森へ帰っていく白ぎつね―。
「信太妻」をもとにした演劇にはあらゆる伝統芸能が詰まっている。
そこにはこの物語を愛した人々への深い思いがあった。

「恋しくば たづね来て見よ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉」
自分の正体が白ぎつねであることを知られてしまった安倍保名の妻・葛の葉は、
この歌を書き残して、我が子と夫の前から姿を
消し、信太の森へと帰っていく。
愛する者との胸を引き裂かれるような離別の痛み。
人交わりのできない運命の我が身を恨む葛の葉の苦悩を、
俳優・中西和久さんが芸の粋を尽くして表現する舞台「しのだづま考」が31日、2月1日に
東京・新宿の紀伊國屋ホールで上演される。
「信太妻」の話は、「狐女房」などの民話と、平安時代の陰陽師・安倍晴明伝説が結びついたもので、
中世から説経節として語り継がれてきた。その後歌舞伎の「芦屋道満大内鏡」として有名になり、
中でも「葛の葉子別れの段」は、説経浄瑠璃や講談、落語などの題材として、人々の心を揺さぶり続けている。

一人で27役を演じきる
説経節とは、もともと仏教説話を民衆にわかりやすく伝えるため、
街中や神社の門前で歌われたもの。その担い手の多くは、「道のもの」と呼ばれた旅芸人などの漂泊者だった。
彼らはいわれなき差別やいじめにさらされ、辛い境遇にあったという。

自身も旅一座の家に生まれ、芸を積んできた中西さんは、この作品で27役を演じきる。
「日本の芸能における役づくりは、衣裳を変えたり、役と年齢が近い役者に演じさせるといった外側からでなく
、感情から作っていくのが特徴。
心さえ表現できれば、お客さんの想像力に助けてもらいつつ、一人何役でもできる」(中西さん)

登場人物の心情を、説経浄瑠璃や三味線で弾き語る瞽女(ごぜ)(盲目の女性芸能者)唄、講談、書など、
伝統芸能を交え表現するのも大きな特徴。
作・演出のふじたあさやさんの言葉を借りるなら「まさに芸能の一人デパート」。
1989年の初演前、中西さんは劇中に登場する芸能の何人もの師匠に弟子入りし、芸を磨いてきたという。
「国宝級の師匠方から芸を叩きこんでいただきました。脈々と受け継がれてきた日本芸能の血脈を、
私の体に注ぎ込まれたような気持ちでいます」(中西さん)

登場人部の人格が憑依したかのように切れ味鋭く演じる一方で、度々「中西役」に戻っては、
笑いを誘うツッコミや解説を挟み込む。ふじたさんによれば、
「物語の背景や語り継がれてきた理由などの”謎”を中西本人がひもといていく面白さを狙った」という。
タイトルに「考」がついているゆえんだ。

童子丸に託した思い
その「考」は、正体を見破られた葛の葉が森へ帰った後に「続編」として付け加えられた物語にも巡らされていく。
保名と葛の葉の息子・童子丸には不思議な力が備わっており、それを駆使してライバルを懲らしめ、
童子丸は安倍晴明となって大活躍するという部分だ。かつて信太の森近辺には、
他に住む者との婚姻も許されない村がいくつかあった。
心を痛めた人々が、自分たちの希望や夢を童子丸の活躍に込めたのではないか、そう中西さんは考える。
 「想像力の中では誰しもが平等。この一人芝居はお客さんも創造者のひとりです。
当時の人がなぜこの物語を愛したのか、一緒に考えてもらえたら」(中西さん)

AERA‘14.2.3号 (ライターまつざきみわこ)