説経節とは

中西◎
 
 説経節っていったい何なんでしょう。中世の放浪芸だって言われているんですが・・。今日は放浪芸ならこの人、小沢昭一さんにご登場いただきます。

「小沢昭一の説経節のこころだぁ!」

小沢◎ 
 そんなに盛り上げなくたっていいの。説経節というのは、「経」を「説く」と書く。説経は、お寺さんがお経の有り難いことを説くことから始まったようです。今でも、説経節といって節を付けてやるお説教もあるんですが、ずっと古くからお寺さんの縁起とか仏教の有り難いことを説いて歩く連中がいたわけね。お寺の宣伝部員みたいな人たちですか。
 それがだんだん発展して、竹で作ったささらをリズム楽器として使ったり、三味線にのせて語ったり、芸能的に発展したもの・・。これが説経節で、もう何百年も続いているんです。ぼくが子供の頃、NHKのラジオ番組で若松若太夫という人の説経節を聞いたことがありまして、子供ながらに面白いもんだなぁと思って聞いていた記憶があります。
 この間、といってもだいぶ前ですけどタクシーに乗ったら運転手さんが話しかけてきました。「小沢さん、実は昨日、老人ホームで何か教えているらしい女のお客さんと話をしてたんだけど、妙に芸能の才のある老人がそのホームにいるっていうんですよ。それでその老人に聞いたら・・俺は若松若太夫の倅で説経節がやれるんだって。だから、その芸を小沢さんなんかに一度聞いてもらいたいねって夕んべ話していたところなんですよ」って運転手さんが言うんだ。そこでもっと私よりも説経節に詳しい日大教授の永井啓夫さんと二人でお宅にうかがったの。
 聞いてみたら、これがやっぱり説経節なんですよぉ。
 その老人は、お酒が好きでちょっと無頼でね。戦後30年ばかり説経節を全然やらなかった。それをヘルパーの青木さんっていう女性の方が「いま日本で若松派の説経節をやれるのはあなただけだ」って励まされましてね。若太夫師匠もまた稽古をはじめてね、がんばった。たしか1987年度の芸術祭賞までとって東京都の無形文化財になっていらした。お弟子さんもできて、説経節が復活したんです。
 中西さんも習いにいったんでしょう。こういう日本に古くから伝わる芸能がだんだんなくなっていくんで、それを継承するのは、とっても大事。しかもお前さんは、それを演劇的に取り込んで演ろうっていうんですから・・結構なことじゃござんせんか。がんばってください。