作家として脂の乗り切った時代の井上ひさしの一人称小説『不忠臣蔵』(第20回吉川英治文学賞受賞)を、ふじたあさやの卓抜した演出によって劇化。説経節シリーズ『しのだづま考』(文化庁芸術祭賞受賞)『山椒大夫考』『をぐり考』に続くふじた・中西コンビによる珠玉のひとり芝居!
 
出演  中西和久
 井上ひさし 演出  ふじたあさや
音楽  高橋明邦 照明  田島康
音響  鈴木茂 謡曲指導  津村禮次郎
講談指導  神田松鯉 所作指導  古澤侑峯
鳴り物  松田光輝 作り物  おかめ家ゆうこ
舞台監督  松田光宏 題字  赤松陽構造
協力  井上事務所 制作  月島文乃

もう一人の〈反〉『忠臣蔵』作家
ふじたあさや 


『忠臣蔵』が書かれたのは赤穂浪士の討入りから45年後である。その77年後、鶴屋南北は、赤穂事件の裏話として『東海道四谷怪談』を書いて、『忠臣蔵』をパロディ化した。さらにその155年後、『忠臣蔵』に異をとなえるもう一人の作家が登場する。井上ひさしである。劇作家でありながら、南北に敬意を表してか、井上はこれを連作小説で書いた。
 ここには忠臣になれなかった不忠臣、忠臣を装って生きる不忠臣、忠臣との関りを売り物にしている不忠臣など、さまざまな不忠臣が出てくる。その数19人。表と裏のある人物ばかりである。こういう人物を描かせると、劇作家は血が騒ぐ。小説として書いていながら、本音かと思えば建前、建前かと思えば本音といった体の言葉が飛び交って、読者を迷路に誘い込むという、堂々たる〈劇〉になってしまった。そういう言葉をみると、今度は俳優の血が騒ぐ。唾をつけたのが小沢昭一氏である。その『酒寄作右衛門』を朗読したが、舞台化までは果たせなかった。弟子の中西和久がその志をついで、舞台化に踏み切ったのである。初演は2018年12月、吉良邸に隣接した回向院境内に出来たシアターX(カイ)。
 井上ひさしと私は、ともに昭和9年生まれ。忠臣であることを強制され軍国少年として育てられた我々にとって、〈不忠臣〉にこだわることの重さは尋常ではない。没後10年、彼のその遺志を、演出家として繋いでいきたい。
【劇評】
演劇評論家 山田勝仁 

                                          
シアターカイのある場所は元はお隣の回向院の敷地だったそうで、回向院といえばこの時期はやはり忠臣蔵。中西和久の名調子で井上ひさしのシニカルな「もう一つの忠臣蔵」。
タイトルの酒寄作右衛門は浅野家の元江戸賄方。百五十石を食み、義士・勝田新左衛門の姉を妻とし、さらに連判状にも一度は名を連ねながら「私はこの春より杖でやっと5〜7町歩けるほどである…。今になってお断りをするというのはとても恥ずかしいが、上に言ったような理由で連判状から除いて欲しい」と脱落にあたり、苦しい言い訳をしたと伝えられる。
 
さて、物語の舞台は泉岳寺。
赤穂浪士が本懐を遂げ、切腹し果てたのち、泉岳寺に不思議な尼僧が現われる。堀部安兵衛の妻だったという妙海尼なる尼僧。彼女が切々と語る義士たちの苦労の数々。中でも、本懐を遂げられなかった脱落者の話の中にいつも決まって3人の武士の名前が登場した。脱落者の詮方ない苦労話は江戸中庶民の涙を誘ったという。
ところが、この尼僧、実は…。
というのが骨子。
 
タイトルロールの酒寄作右衛門がなかなか出てこないので、「どうしたんだろう?」と思っていると、なるほど、そういうわけなのか…と得心が行く構成。
 
いつの時代でも、あいつは脱落者だ、裏切り者だと後ろ指さされるのはつらいもの。なんとか汚名返上したいと思うのは人情。それを商売にする不届き者もまた…。
前口上から小沢昭一の芸能座の研究生だった頃のエピソード、講談が衰退期だった頃の話などを笑いのめしながら本編へ。
初日初演とあってか、ややゴツゴツした部分もあるが、1時間25分飽きさせることない口演で客席大笑い。田之倉先生と中西さんに挨拶して家路に。
5、6日だけとはもったいない。
それにしても、ふじたあさやさんが、私が子どもの頃に見ていたNHK「ケペル先生」=もの知り博士の台本を書いていたという事にびっくり。
以下はネタばれ含むので未見の方はスルーしてください。
実は妙海尼は真ッ赤な偽者。脱落浪士がカネを使って妙海尼なる偽の未亡人を仕立て上げ、自分たちに都合のいい話を流布したのだった。
「『白金そば茶屋の亭主は、赤穂浅野家の元江戸賄方の酒寄作右衛門だ。百五十石も食み、また義士勝田新左衛門の姉を妻とし、さらに連判状にも一度は名を連ねながら、結局は命惜しさに脱落したという腰抜けだ。あんな男のつくるそばは、腰が弱くて不味いぞ』と騒ぎ立てておる。そして全部、真実だから始末が悪い」
井上ひさしの鋭い視線は不忠臣者だけでなく、大衆の無責任性をも撃つ。時代は変わってもそれは同じ。