森鴎外の名作「山椒大夫」の真実とは・・・?
説経節・祭文・瞽女唄・文弥節など
さまざまな芸能・伝承を渡り歩きつつ歴史の暗闇に迫る!




筑紫安楽寺(現在の太宰府天満宮)へ配流された父、岩城判官正氏を尋ねて、安寿と厨子王の姉弟は、母と乳母ともどもに奥州を立って長余の旅に出る。途中、越後の直井の浦(直江津)で人買いの手に掛かった一行は二艘の船に乗せられて、母は佐渡島へ、安寿と厨子王は丹後由良の長者山椒大夫のもとへと売り分けられてしまう。
 涙に暮れる姉弟には過酷な労働が待っていた。二人は逃亡を企てるが、山椒大夫の息子三郎に立ち聞かれてしまい、額に十文字の焼印を当てられてしまう。そんな絶望的な日々の続くある日、安寿は弟と一緒に山に芝刈りに行くことを願い出る。雪がまだらに消え残った岩穴で安寿は厨子王を説き伏せ逃がす。ひとり館へ帰った安寿は火責め水責めの果て、やがて力尽きてしまうのだった・・・。
 国分寺のお聖の助けで追っ手から逃れた厨子王は、都へ上って参内し、丹後の守に任命される。錦を飾って由良に赴いた厨子王を待っていたのは、姉の残酷な最後の物語だった。やがて母の行方を追って佐渡に渡った厨子王の耳に、眼を泣き潰した老女のかすかな唄声が届いてくる。
「安寿恋しや ほうやれほう 厨子王恋しや ほうやれほう・・」


『山椒太夫』の物語は、文豪森鴎外の小説で国民的文学となった。原作は中世の説経節の「さんせう太夫」だと言われている。鴎外の小説では安寿と厨子王が人買いに買われ、母とも生き別れになる美しくも悲しい物語だが、説経節は、それよりもだいぶ骨太な革命劇、祝祭感のある結末となっている。

 説経節の『さんせう太夫』は、歌舞伎をはじめ、さまざまな芸能に受け継がれてきた。佐渡の文弥人形、瞽女(ごぜ)唄、祭文など、そのいずれにもその土地土地、その時代の人々の思いが込められて少しづつ変形している。

邦楽界の巨匠、平井澄子の音楽にのせて贈る、ふじた・中西コンビの説経物第二弾!!
〈初演〉1996年7月10日 福岡・ミリカローデン那珂川







「中西君が名乗りをあげてくれた」 ふじた あさや

「さんしょう太夫」を、最初に劇化したのは、1957年のことだった。それから40年近くの間、舞台劇、ラジオドラマ、オペラ、音楽劇とさまざまな形の「さんしょう太夫」を作ってきた。前進座上演の「さんしょう太夫」は、香川良成の演出・平井澄子氏の音楽で、1971年以来、800ステージ以上上演され、座はこれで芸術祭賞など多くの賞を得、僕も斎田戯曲賞をいただきた。
 この台本を、今はなき芸能座で研究生の稽古場発表に使ったことがある。そのとき、ご覧になった早野寿郎(演出家)さんに、「「さんしょう太夫考」というのを作ったら面白いね。ふじた君、書かない?」といわれて、「書きましょう」と約束したまま、早野さんは亡くなってしまわれた。いつか弔い合戦を、と思っていたところに、そのときの出演者の中西君が名乗りあげてくれた。中西君とは「しのだづま考」に続く説経もの一人芝居ということになる。
 今回の一人劇化にあたって、お許しを得て平井澄子先生の曲を大幅に使わせていただいたのは、「さんしょう太夫」における平井先生のお仕事を抜きにして、この国の語り物音楽は論じられないという思いからである。
 説経節は[道のもの]であった説経師が、ささらをすりながら、町の辻で語ってきた歌物語で、当然そこには被差別の民であった彼らの思いがあふれている。同じ被差別の譜代下人を描いた「さんしょう太夫」に込められていたのは、解放への道、自由への渇望だった。
 ぼくはこの舞台化で、中西君に現代の説経語りになってもらいたいと思っている。


ふじた あさや
劇作家・演出家。1934年東京生まれ。早稲田大学演劇科在学中に、戯曲『富士山麓』(福田善之合作)でデビュー。仮面劇場・三十人会をへて、現在、劇団えるむ・総合劇集団俳優館・音楽劇団歌座で脚本・演出を担当。
日本演出者協会元理事長。(社)日本劇団協議会理事。(社)日本芸能実演家団体協議会理事。日本劇作家協会理事。(社)日本演劇協会理事。日本児童青少年演劇劇団協同組合理事。アシテジ日本センター理事。
主な劇作品に『日本の教育1960』『ヒロシマについての涙について』『サンダカン八番娼館』『さんしょう大夫(斎田賞受賞)』、作演出作品に『現代の狂言』『ベッカンコおに』『しのだづま考(芸術祭賞受賞)』フォークオペラ『照手と小栗』等があり、演出作品にフォークオペラ『うたよみざる』等がある。また、ロシア・中国・韓国等との国際合作の経験があり、作品はドイツ、カナダ、ポーランドで上演されている。また、長野県飯田市で市民劇団を育成し、三重・岐阜の国民文化祭で地域劇団合同公演の演出をするなど、地域文化振興にも努めている。





ひとり芝居「山椒大夫考」を福岡の住吉神社能楽殿で見た。幼いころに読んだ「安寿と厨子王」の物語とは色合いも奥行きも深みも異にする物語世界への旅へと連れ出され、その旅の余韻がなかなか去らない。
私の知る「安寿と厨子王」は、明治の文豪森鴎外の「山椒大夫」を底本にした児童書だ。鴎外は説経節「さんせう太夫」を底本に書いた。
演者中西和久は鴎外の「山椒大夫」を参照し、さらに旅の芸人たちが語り伝えた説経節、 瞽女唄(ごぜうた)の世界へと分け入って歌いかきくどき、登場人物のひとりひとりを我が身に降ろして演じてゆく。
私には伝統芸能の素養も良しあしを聞き分ける耳もないが、笛、太鼓、琵琶、三味線から打ち出される音と語りと所作が一体となって形作られる空間に脈打つリズムが心地よかった。それだけに、読み上げられる鴎外の書き言葉の文体とリズム、それが描き出す近代的に改変された物語がある種の違和感をともなってせり出してくる。「さんせう太夫」と「山椒大夫」の間にある日本語の世界の裂け目、とでも言おうか。その裂け目をのぞき込めば、近代へとジャンプするときに日本語の使い手たちがぼろぼろと落としたもの、捨てたものが見えるようでもある。
私たち、ずいぶん長いこと「声」をなくしていたんじゃないか。かつて、辻(つじ)や門口で語り手と名もなき聞き手たちの交感のなかではぐくまれていった「声」があったことを思い出した時、ふとそう思った。汗みずくで演じる現代の説経語り中西和久に、私たちの「生」に根差した「声」の不在に改めて気づかされたのだった。

    姜 信子(ジャーナリスト) 1998年11月28日 朝日新聞〔夕〕より



音楽 平井 澄子 説経節指導 武蔵大掾
美術 西山 三郎 衣裳染織 甲木 恵都子
衣裳 中矢 恵子 題字 赤松 陽構造
照明 坂本 義美 宣伝写真 永石 秀彦
音響 鈴木 茂 舞台監督 猪股 孝之
音楽監督 高橋 明邦 制作 月島 文乃
演出助手 栗谷川 洋