ぼくたちは、明日沖縄に向かって飛び立ちます。
先生、死ぬ前に一度だけ、おもいっきりピアノを弾かせてください・・・。」


「月光」を弾きて 征きたる特攻の 思い語るか 古きピアノよ 上野歌子・詠



あらすじ

1945年5月、佐賀県鳥栖の小学校に二人の特攻隊の青年たちが訪れました。
明日、沖縄の海に飛び立つ前にどうしてもピアノが引きたいと言うのです。青年は朝からずっとピアノのある学校を探しまわっていたのです。さっそく校長の許可を得ると、音楽担当のおなご先生は「月光の曲」の楽譜をそっと手渡しました。




このお芝居の元になったのは、一本のテープです。

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1990年5月27日深夜、九州朝日放送ラジオスペシャル『ピアノは知っている―あの遠い夏の日―』がオンエアされるやこの番組は各地に大きな反響を巻き起こしました。その夜この番組を聴いていた福岡、佐賀のタクシー運転手たちは涙で前方が霞み、車を止めて「よかラジオがありよるばい!」と無線で報せあい、じっと聴いていました。おかげでその1時間はタクシーがなかなかつかまらなかった程でした。
放送後、中西和久のひとり芝居『しのだづま考』に感銘をうけていたこの番組のディレクターは「これ、ひとり芝居になりませんか?」とテープを中西に渡します。早速、中西はそのテープを何度も聞きなおし台本作成にかかりました。が、ひとり芝居にするには、まだまだ時間を要しました。
‘92年、茨城県の小学校から舞台公演の依頼を受けた中西は、この放送テープを改めて聞きなおし、小学生のための台本作りを始めます。そして、‘94年2月同県岩瀬小学校の体育館で、『ピアノのはなし』は初演されました。

  なお、このラジオ放送はその後、映画「月光の夏」にもなり200万人に感動を与えています。

俳優・中西和久の多彩な演技とピアニストによるピアノソナタ「月光」をはじめとした全編生演奏の音楽、効果音もこの舞台の大きな魅力です。

――この作品は、現代の子供たちに戦争の悲劇、命の尊さを伝えようとする一人の元教師の言葉の温かさが原点になっています。


〈コンサートドラマ『ピアノのはなし』に寄せて〉

コンサートでもある劇   ふじたあさや

 中西の新作『ピアノのはなし』は、不思議な作品である。ドラマかといえばそうもいえず、コンサートかといえばそうもいえない、ドラマでもあるしコンサートでもある、ドラマであることによってコンサートになり、コンサートであることによってドラマが成立するという、先例のない新ジャンルである。
 物語は、映画『月光の夏』でおなじみの、のちに劇団東演の舞台でも紹介された、特攻出撃を前にした音楽学校出身の飛行兵が、小学校のピアノで「月光の曲」を弾かせてもらい、飛び立って行ったという実話だが、中西がこれを脚本化したのは、映画に先立つ1992年のことだった。中西はこれを、年老いたピアノ自身が物語る話として構成したが、これが成功のもとだった。一人で何役も兼ねる一人芝居でありながら、ピアニストによるコンサートでもあるという新形式が成立したのは、このアイディアがあってのことである。
 もちろん、これが事実であったということの重みは大きい。そして、事実であったことを怒りをもって語る中西とピアニストがそこにいることによって、物語はにわかにリアリティーを増すのである。フォルティッシモばかりの「海ゆかば」は、あの時代に少年であったぼくには、涙なしには聞けない。
 年老いたピアノというありえない役を、ありうる役にしてしまったのは、多分中西の持味と芸なのだろう。栗谷川君の緻密な演出が、中西の芸を支えてくれている。
 中西は、また財産を増やした。 (劇作家・演出家)


歌子先生の微笑み   原作者 毛利恒之

 このお芝居は、佐賀県鳥栖市の小学校でながく教師をつとめられた、上野歌子先生の古いピアノをめぐる思い出話がもとになっている。私が取材・構成したラジオドキュメンタリー『ピアノは知っている』−あの遠い夏の日―(KBC)を聴いて、ひとり芝居にしたい、と中西和久さんが言ってこられた。私は次なる映画『月光の夏』の製作と上映に奔走していた、十年ほど前のことである。
 聞けば、中西さんは出身が福岡県大牟田市で、私と同郷である。芸術祭賞を受けた『しのだづま考』の舞台を観せてもらって、彼の芸達者ぶりと熱演に私は感嘆した。ふじたあさやさんの脚本・演出も見事で、ひとり芝居の真髄をみせてもらったように思った。
 脚本を書いてほしいということだったが、いっそ、あなたがお書きなさいよ、と私はすすめた。私は映画で多忙を極めていたうえに、『月光の夏』の舞台劇と朗読劇の構想を抱えていたこともある。それより、ひとり芝居にするなら、中西さん自身が存分に書いてこそ、いいものが生まれるに違いないと思ったからである。
 公演のチラシを見ると、なんと、燕尾服を着込んで乙にすました見慣れぬ顔がでている。「ん!? ピアニストをやるの?」ときいたら、「ぼくはピアノになるんです」と彼は言った。さて、どんな舞台になるか―。それは、皆さま、観てのおたのしみ。
 ピアノに秘められた〈特攻秘話〉を通して、平和の貴さを訴える語り部であった歌子先生は、92年に講演の旅先で亡くなられた。歌子先生の思いは語り継がれている。ひとり芝居の舞台の、ピアノの傍らに、歌子先生の静かな微笑みが見えるように私は思う。 (作家・脚本家)


ぼくらの名前を覚えてほしい    中西和久

  『戦争を知らない子どもたち』という歌が流行ったのは、僕が高校生のころだったと思います。僕らは「受験戦争」や「交通戦争」は経験していますが本物の戦争は未経験です。「戦争を知らないおじさん」「戦争を知らないおじいさん」としてそのまま、オサラバできたら本望です。しかし、知らなくても記憶はしておこうと思っています。
 知覧の特攻平和会館に行って、特攻兵出撃前の遺書の数々を読ませていただきました。その行間から迫ってくるものは、「俺が生きていたということを忘れないでくれ」という若者たちのつましいほどの願いでした。
 辛いことや悲しいことは、さらりと忘れて今日を生きることがひとつの知恵なのかもしれません。そのうちにその辛いことや悲しい事は風化して、何事もなかったような日常になるのかもしれません。そして、また同じ歴史を刻むのかもしれません。
 「戦争を知らないおじさん」にできる事は、記憶を風化させないこと。記憶を呼び戻し明日につないでゆくこと。戦争を知らない僕たちもいずれこの世から消えていくのだけれど、記憶さえしっかりしていれば今の「戦争を知らない子どもたち」が「戦争を知ってる子どもたち」にならずにすみます。(脚本・出演)



中西和久の『ピアノのはなし』の面白さについて    演劇評論家  七字 英輔

 わが国には「語り物」という口承文芸の一ジャンルがある。古くは平家琵琶や説経節、比較的新しくは講釈(談)や浪花節などがそれに当たる。滑稽な「落し咄」を祖とする落語もその変型のひとつといっていいだろう。近年のひとり芝居の流行は、そうした伝統につらなるものと私は考えているが(ひとり芝居は何も日本の専売特許ではないが、西洋のひとり芝居は、ベケット作『クラップの最後のテープ』のように、たとえテープから聞こえてくるのが自分の声であっても、基本的には対話を旨とした「劇」だといっていい)、それは中西和久の説経節ひとり芝居『しのだづま考』『山椒大夫考』『をぐり考』の三部作が、説経節のみならず、越後瞽女歌、歌舞伎狂言、講談、近代小説などを自在に織りなしながら観客に直接語りかけてくることによって典型的に示している。

 同じように公演回数を重ねている『ピアノのはなし』についても、中西の卓抜な「語り」が舞台を進行させていく。しかしそれにしても、この『ピアノのはなし』は前三者に比べていかにも異色である。下手に演奏者のいるグランドピアノと奥に小学校で使う跳び箱とボール玉三個が転がっているだけの簡素な舞台。演奏者によるピアノ曲が流れる中、中西が登場し、日本に初めてピアノが現れたときからのピアノ受容の歴史を語り、いったん退場する。ここまでが劇の前半。やがて燕尾服の正装で再び舞台に現れた彼は、頭を白く染め、杖をつき足を引きずっている。中西はここでは、ドイツで生まれ、日本に渡ってきて、半生を佐賀県鳥栖の小学校で過ごしたというピアノ自身に変身しているのだ。そして語りだすのが『月光の夏』として映画、小説などを通して今や多くの人に知られるようになった、敗戦間近のある日、明日は出撃という特攻隊員が二人、鳥栖小学校を訪ねてきて、ベートーヴェンの「月光」を弾いて基地に帰っていった挿話をはじめとする戦中、戦後の回想である。『ピアノのはなし』はまさしくピアノの語る話だった。

 私はこの構成の妙に舌を巻いた。前半と後半を日本唱歌のピアノ演奏でつなぎ、最後には再び、ピアノソナタ第14番「月光」が会場を包む。いや、途中にも折に触れ、ピアノは音をたて、曲を流す。前半と後半で物語る主体が変わること、演奏がその語りに付かず離れず伴走しながら情景を描き出していくことなど、私はこの劇をまるで一曲の能のように感じたものだ。ピアノが奏でているものは、能でいえば地謡のそれにも等しい。中西の「伝統」への通暁は、こういうひとり芝居の転用にも表れている。
 舞台は、特攻隊員たちの生前のスクリーンに映写されるなか、中西が特攻隊員たちの遺書をひとつひとつ読み上げ、やがて日本国憲法第九条の条文が映し出されて閉じられるが、古典芸能としての能が、現世に思いを残して死んだ死者への追悼、遺籍に発していることを考えれば、いかにもこの劇のラストに相応しい。『ピアノのはなし』の感動は、内容はもとより、その形式からもたらされたと思うのは私だけではあるまい。


ピアニスト紹介

佐々木 洋子

桐朋学園大学音楽学部演奏学科卒業。水町澄子、末永博子、米元えり、末吉保雄、大島正泰の各師に師事。これまでに、松浦豊明、ハリーナ・チェルニー・ステファンスカ、 チキー・ボディジャーク、ヴァディム・サハロフ各氏の公開レッスンを受け研鑚を積む。 '88年 サントリーホールにて「サマースペシャル ショパンピアノ曲全集」演奏会出演  '92年 飯塚新人音楽コンクール優秀賞受賞  '96年 ルーマニアにおいてルーマニア国立ディヌ・リパッティ交響楽団と共演。
'98年同年、西日本新人演奏会出演 。
デュオや室内楽をはじめ、クラシックにとどまらない幅広い音楽活動を展開している。


ピアノ演奏 佐々木 洋子
原 話 上野 歌子
原 作 毛利 恒之
  (九州朝日放送ラジオドキュメンタリー ピアノは知っている −あの遠い夏の日ーより)
脚 本 中西 和久
演 出 栗谷川 洋
照 明 坂本 義美
方言指導 高尾 平良
協 力 九州朝日放送
知覧特攻平和会館

加々美洋子ダンスタジオ
制 作 月島 文乃